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シュトーレンとパネトーネのお話
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クリスマス近くになると、パン屋さんやお菓子屋さんに並びはじめるシュトーレンとパネトーネ。その形や名前の由来には様々な説があるようです。クリスマスの夜、シュトーレンやパネトーネがのったテーブルを家族で囲みながら、今年はその起源に触れてみるというのはいかがでしょうか?
シュトーレンの起源
シュトーレン形状由来説
「柱」「坑道」の意味があると言う説。
ドイツ語「stollen」が坑道や柱を表す物と言います。確かにカットした断面を見れば山型で、上には雪が積もり、中にくるまれたマジパンやフルーツはまるで山に穿たれたトンネルのようにも見えます。本来の語源はこれではないでしょうか。但し、形態や原型は古くからあり、特に「柱」や「薪」の形状は、火にして燃やす事が再生を象徴する呪術的儀式との説もあります。
イエスキリスト由来説
もともと長い形のパン類を中北部ドイツではStriezel又はStruzelと呼び、そのパンがStriezel marktで販売され、その形が降誕祭(キリストの生誕)物語にある『むつき(赤子を包む布、オムツ)に包まれた子供』を想像させたというものです。しかも、ドイツのザクセン地方の人々は方言で、この膨らんだパンを、Stolle又は、Stollenと呼んでいて、そこから思い巡らし、“むつき:シュトーレン(ストールなどのおくるみと同義)”と名付けたのではないかと言われています。
また、キリスト生誕を祝福に来た人に聖母マリアが焼いたお菓子ともいわれています。
いずれの場合も宗教に、特に現在ではキリスト教の布教に密接な関係が有るようです。 クリスマスにあたる12月25日は冬至の「後」で、太陽がよみがえる日としたミトラ教(元ペルシアの大神、インドヨーロッパ民族の古い神)の教義にも合い、キリスト教はローマ人の間では軍人、兵士の間で崇拝され、ヨーロッパ各地に伝播する機会を得て行き、その為、宗教上の儀式に使われた焼き菓子の供え物も、後世にキリスト教のものとして定着したとみられます。
ゲルマンの冬至の祭りも同じ冬至の時期で、初代キリスト教の指導者達が、こうした農耕上の祭りに主イエスキリストの降誕を結びつけたのが「クリスマス」の定着の背景のようです。
宗教的妥協で、キリスト教の普及に伴いゲルマンでも伝統的民族宗教と習合する中で、シュトーレンが坑道の意味や、長いパンを指してきた物が、何時しか宗教的意味合いを求められ、「命名の由来はキリスト」の「イエスの揺りかご」や「着ぐるみ」と付け加えた可能性は高いとみられます。特に、今のような形にシュトーレンがなったのは、14世紀、16世紀以後の食文化の質的な向上と宗教改革などの布教の歴史的契機と符合するとみられます。
その食べられ方
ドイツでは11月からシュトーレンが焼始められ、12月 1日にはパン屋や菓子屋の店頭に並び、クリスマスシーズンの到来を告げる。焼立てをすぐに食べるものではなく、日がたつにつれ、ラム酒やフルーツの香りが馴染み、味わいが深くなります。クリスマスの日までこれを薄くスライスして少しずつ食べるという習慣があるのだそうです。
パネトーネの起源
パネトーネも宗教的な意味起源説が有力です。
「物の由来」は、パネトーネはキリスト信仰に厚いイタリアの菓子という事になっているが、さかのぼれば原型と言われるものはギリシャ・ローマの時代に存在したといわれます。
ケーキとパンの境はそれまで判然としなかったが、ギリシャ・ローマ時代に初期のケーキ、タルト・パネトーネ・ドランジェの原型が生まれたとされています。特にローマでは、農業神サターン(ギリシャ伝来といわれるのようだが、実は更に古いイタリアの神らしい)の祭りサトゥルナリアを12月21日から31日まで行っていた(17日から1週間、という説もあり)祭りにこれらの菓子が使われていたようであり、祭礼用ならかなり大きな形状であったろうと言われています。
饗宴、贈答品の交換「幸運の贈り物」などの風習がありその中で使われ、宗教色と季節の農耕行事色の強い、日本の月見の団子(元々は収穫祭のサトイモが原型)、鏡餅や彼岸の「春のぼたもち」(ボタンの花の餅の意)「秋のおはぎ」(萩の花の餅の意)と同じような位置付けとも言えます。大型で、配合も当時としては贅沢で、パネトーネのパネは「パン」の意、トーネは「大きい」の意味といわれます。菓子屋の「トニーのパン」といわれる説は後世のもじり話しかも知れません。
つまり、「トニー」は日本で言えば「大介」「大作」など、子供が大きくなる願いを込めた命名を指します。その事自体をしゃれて読み替えたともみられる「トニーのパン」説の逸話は以下の内容です。
  ・ ・・・・『イタリアの「パネトーネ」は、トニーのパンという意味で、トーネとはトニーというお菓子屋の職人のことで、年頃の娘を大切にしていた。その娘と結婚したいという青年が現われた。しかし、貧乏な菓子屋の娘では彼の家族が結婚を認めてくれないので、クリスマスの前に青年は自分が猟に使っていた鷹を売って、そのお金で菓子屋のトニーに最上の小麦粉、卵、バター、その頃はあまり使われていなかった干しぶどうとレモンを買い、クリスマスケーキをつくらせたら、これが爆発的に売れてトニーはたくさんの資金が溜まった。お金に目のない青年の家族は、難なく娘を迎え入れたというめでたい結末となった。』・・・・
  この方がロマンチックではあります。
パネトーネが作られるようになったのは、3世紀とも、15世紀ともいわれます。15世紀ならメディチ家などの反映の様に、イタリアでも拝金主義と一攫千金の夢がまだ残っていた時期でもあります。パネトーネを「長者ばなし」の様に扱ったのも頷けなくはありません。また、3世紀ならローマ期のキリスト教の普及、15世紀でも宗教改革など、いずれにせよキリスト教勢力下の様々な動きの時期に符合します。
特に12月25日のクリスマスは冬至の「後」で太陽がよみがえる日として記念されました。これは、ミトラ教(元ペルシアの大神、インドヨーロッパ民族の古い神)の祝いの日と符合し、かたやキリスト教はローマ人の間では軍人の間で崇拝され、ヨーロッパ各地に伝播する機会を得ました。その為、後世にキリスト教の儀式としてクリスマスが定着したのです。ミトラ教の祭りでもこの冬至には「不滅の太陽の生誕日」の意味があり、キリスト教の指導者達がこうした農耕上の祭りに主イエスキリストの降誕を結びつけたのが「クリスマス」の始まりです。キリスト教でも救い主は「義の太陽」とされていたので拒絶はなく広まったようです。(歴史的にはキリスト教の普及に伴い、コンスタンティヌス大帝はミトラ教の太陽礼拝の日をキリスト教の「主の日」と結合して321年に公式に週1回の役人の休日にしており、この事でパネトーネの原型もローマの伝統神の儀式からキリスト教の儀式の一部として継承される事になります。)
キリスト教初期には日付は一定しないで1月6日、3月21日(春分)、12月25日のいずれかが選ばれていた。325年のニケア公会議で12月25日に決定.ローマ教会が12月25日に降誕祭を行うようになるのは354年(教皇ユリウス1世)以降のことで、379年からギリシャ教会もこれに従うこととなったと言います。のちに中世ではクリスマスはバカ騒ぎ、カーニバル、一種の混成的宗教行事として存続したそうです。
その食べられ方
パネトーネはレーズンやサルタナ、レモン、オレンジなどのドライフルーツが入った明るい卵黄色の円筒形のパンです。糖分が多いのにそう甘くなく、卵とバター とフルーツの芳しく穏やかな香りがして、食べ口も軽いので人気です。イタリアの各地でつくられ、特に名高いのはミラノのもので、別名「ミラノのドーム形の菓子」「ミラノのカステラ風菓子」とも言われるようです。クリスマスとそれに続く祝日に欠かせないもので、パネトーネ種を使うと焼成後も保水性があり、独特の芳香で長期間保存できるため、クリスマスプレゼントして海外にも盛んに送られています。イタリアでは、クリスマスのほかバレンタイン、イースターなどお祝いの席には欠かせません。
太陽の国、イタリアのクリスマスはクリスマス・イブのお祭りという感じらしく、色とりどりの花が飾られ、都会では花火や大砲が轟き、教会では深夜のミサが盛大に行われます。
宗教色の有る点は、パネトーネの頭部に十字が刻まれたものが多い事。また、これを縦に切り分け、皆で分け合い食べるといいます。
分け合って食べる物や、何日か食べつづけるものは、日本の古神道や、古い儀式にもありますし、食べ物の形や、飾り付けや等に意味をもたせるのは、おせちのゴマメ、コブ、数の子、かしら芋、かち栗、お屠蘇などにもみられるもの。似ているかもしれません。
焼き立てのパネトーネは、底に金串が刺され、逆さにされて冷まされます。
12月の店内では、タイミングが良いと、焼き立てのパネトーネの甘い香りと
写真のような風景に出会うことが出来ます。
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